H&Cchannel管理者ヒロシのプロフィール

プロフィール
Hiroshi & Cherry

皆さん、こんにちは。H&C channelのHiroshiです。

私は、50代半ばの中年オヤジです。 皆さん、人それぞれに、人生の中で様々な経験をされて来ていると思います。

また、若い世代の方々は、これから先の人生において、様々な経験をされていく事でしょう。

人生の後半に入った私もこれまでに挫折し、苦悩し、どん底の様に感じられる人生を、自ら投げ出したいと思った時期もありました。 しかし、今の私は毎日がとても楽しく、笑って幸せを感じながら過ごしています。

それは何故か?・・・何故なら何もない今の私を愛してくれる一人の外国人女性と出会ったから。 それは、23歳年下のフィリピーナです。

私達は国際結婚カップルです。

結婚して7年目になります

このブログでは、そんな23歳年下フィリピン妻との出会いや日本での日常生活、フィリピンでの生活や文化、体験談、失敗談、ちょっとした日常の英語・タガログ語講座その他を私たちのYouTubeチャンネルと出来るだけ絡めて発信して行きたいと思います。

そして今現在、独身で結婚したい気持ちを持っているけど出会いがない!

離婚を経験したけど、これから先の人生を愛する女性と過ごしたいと思われている40代50代、それ以上の紳士の皆様の一助になれれば幸いです。

30歳で起業⇒年収1000万円強⇒そして転落

現在の私は、生まれ育った東京を離れ、東日本大震災で地震・津波で大きな被害を受け、福島第一原発事故現場から半径20Km以内の被災地である小さな町へ移住しました。

ここは私の先祖代々~祖父の代まで住んでいた町です。勿論、最初は移住するにあたって不安も抱いていました。

私は30歳の時に、東京の某区のマンションの一室で、鍼灸マッサージ院を開業しました。

エスティシャンの経験を持つ女性スタッフを一人雇い、女性のエステも出来る鍼灸マッサージ院でした。 現金での実費による施術でした。

当時は幾つかの雑誌にも取り上げて頂きました。 しかし、スタッフへ給与を渡せば、私の方は何とか生活出来る程度の収入しか残りませんでした。

そして34歳の時に柔道整復師(接骨師)の夜間専門学校へ入り、3年間、勤労学生をしました。

恥ずかしながら、一度、国家試験を落としてしまい、38歳で資格を取得、すぐに鍼灸整骨院としました。

そして既存の患者様の口コミが広がって、約1年と少し程で、年収1000万となり、その後、約2年ほどその年収を得る事が出来ていました。

しかしここで、私が欲を出し、また気が大きくなり緩んでいた為に、同時期に2つの悪徳業者に騙され、更に1人の友人にも騙されてしまいました。

勿論、私の自業自得な部分も多々あると思います。 

そして私は多額の負債を背負い込みました。それはまるで、暗闇でいきなり横っ面を張り倒された気持ちでした。

そして自己破産 ⇒ 奈落の底へ・・・

私は、この背負った負債を何とかしようと懸命になり努力をしましたが、もがけばもがく程、底なし沼にハマり込む様に、身動きが取れなくなって行きました。

この頃には相当、私は精神的にも追い詰められていました。

ノイローゼの様になっていたことでしょう。 

結局、自分自身の無力さを痛切に思い知り、物事が何も好転せず、忸怩たる思いを抱きながら、自己破産手続きを行いました。

しかし、私は自分の無力さを知り、自分自身が許せずに責めていました。

この頃には、どこか自分の精神状態が狂っていたと思います。

ポジティブな考えなど何1つ浮かばず、考えることはネガティブな事だけです。

自己否定の毎日で、自宅にも帰る事が出来ませんでした。

最初の転機

私の天使

そんなある日のこと、ふとペットショップの前で足を止めました。

そこには大きくなり過ぎたのか?何か問題でもあるのか?破格の値段の犬が1匹、私を見つめて尾を振っていました。

私は持っていた財布の中の全額を出して、その犬を求めました。

私は大の動物好きなのです。

名前をAngeと名付けました。フランス語で天使という意味です。

私はその犬を溺愛しました。

まさに私にとっての天使でした。

それから約6年間は、自分たちが生きて行ける最低限の収入で細々と生活を送っていました。

第2の転機

私が48歳になる頃、私の両親から私の住む土地家屋を売却したいとの話が持ち上がりました。 

これは私の父母名義の土地家屋なので、私は反対する事はありません。

実は、私の両親も多額の負債を持っていました。それを全額返済し、残った金銭を老後の資金にしたいとの事でした。

そして私は東京で住む家を失う事になりました。

しかし、福島県の被災地に、私の祖父母が暮らしていた家がありました。

祖父母は既に他界し、原発事故の為に、4年間空き家になっていた家です。

この時はまだ、帰宅解除には至っていませんでしたが、帰宅準備期間として、届け出を出せば、家の手入れなどを理由に特別宿泊が可能でした。

私は、愛犬と共に被災地の家の手入れの為に移り住みました。

家の状態は酷いもので、水道も使えずトイレもシャワーも使えず、トイレは 庭に穴を掘って野糞をしていました。

運命の出会い

東京の自宅の売却と移住する被災地の家の修復には時間がかかるとの事で、私の念願であり、夢の1つであったバックパックでの海外貧乏一人旅へ行く事にしました。

観光ではなく、出来るだけ現地の人々と接し、共に過ごす事が出来ればと思いました。

そして自分の立ち位置というものを漠然とでも考える機会にしたいと思っていました。

言い方に語弊があるのですが、発展途上国で裕福でない一般の人々の生活などを知りたいと思いました。

最初は1週間の日程で、ベトナムのハノイとダナンを訪れてみました。

旧市街地の安ホテルで寝起きをして、夜は一人ビアホイで飲んで、現地の人々と親しくなりました。

ただ、私も30年ぶりの海外旅行なので、自分の思うようにはベトナムの人々とそこまで親しくなれずに帰国しました。

ベトナムから帰国して約1週間後には、2週間の予定でフィリピンのマニラを訪れたのです。

この時、ここで出会ったのが、私の妻である23歳年下の一般人のピナちゃんでした。

出会いやフィリピン滞在の話は、今後少しずつ話して行きたいと思います。

自己紹介の最後に

人生には何度かの転機が訪れるかと思います。良い転機、悪い転機のどちらも。

現在、40代50代またはそれ以上の年齢の紳士の皆様の中には、結婚したい意思のある方、日本国内での女性との出会いが乏しい方、離婚を経験し、人生の後半を、もう1度誰かと一緒に過ごし暮らしてみたい方、自分が天に召される最後の時に、孤独死が不安で心配な方

そういった方々に、私の経験した事が何かの一助になれば嬉しいです。

私は、23歳年下のフィリピーナと結婚し、現時点で6年になりますが、大きな喧嘩も問題もなく、毎日ピナちゃん妻の底抜けな明るさと愛嬌、一生懸命に尽くしてくれる姿に、癒され励まされて、毎日笑いながら日々を過ごす事が出来ています。

50代半ばになって、新しくこの様な日々を過ごせるとは、10年前には思ってもみなかった事です。

皆さんの幸せを願いながら長い私の自己紹介を終えたいと思います。

そして、これを読んで頂いている貴方とのご縁に感謝いたします。

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