この記事では、相馬野馬追の歴史、甲冑競馬、神旗争奪戦、野馬懸、火祭りまでを紹介します。このサムライの文化・伝統の衝撃的な祭典を解き明かします!
2023年度の相馬野馬追は、7月29,30,31日に開催されます。この記事の下部に2022年度の相馬野馬追のYouTube動画があるので是非、観てください。
歴史の起源
相馬野馬追の衝撃的な起源 野馬追は、何世紀にもわたって行われてきた日本独自の古い祭りです。神々を敬う伝統的な儀式であり、日本文化における重要なイベントでもあります。毎年、何千人もの人々がこの素晴らしい光景を観るために、福島県南相馬市の街に集まります。その起源は古く、1000年以上の歴史をもっています。
相馬野馬追の起源は、相馬氏の遠祖とされる平将門が軍事訓練として行ったのが始まりとされています。野馬を敵兵に見立てて軍事演習に応用したことにはじまったと伝えられています。
この相馬野馬追は、馬を追う野馬懸、南相馬市原町区に所在する雲雀ヶ原祭場地において行われる甲冑競馬と神旗争奪戦、街を騎馬武者が行進するお行列などの神事からなる。これらの神事に関しては1952年、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
東北地方の夏祭りのさきがけと見なされ、東北六大祭りの1つとして紹介される場合もあります。
鎌倉幕府成立後はこういった軍事訓練が一切取り締まられましたが、この相馬野馬追はあくまで神事という名目でまかり通ったため、脈々と続けられました。公的行事としての傾向が強くなったのは、江戸時代の相馬忠胤による軍制改革と、相馬昌胤による祭典化以降と考えられます。
祭りのハイライトの甲冑競馬および神旗争奪戦は、1868年の戊辰戦争後の祭事です。
騎馬武者を500余騎を集める行事は現在国内で唯一です。馬は一部の旧中村藩士族の農家、相馬中村神社や野馬追参加者により飼育されてはいるが、多くは関東圏からのレンタルによって集められています。
観戦マナー
相馬野馬追の伝統的な雰囲気を守るため、観覧者の安全配慮のため観戦にはルールがあります。
- 馬の前を横切ってはいけません
- 騎馬武者(サムライ)を高いところから見下ろしてはいけません。それこそ頭が高いと怒られます
- 馬のうしろに立たない。馬に後ろ蹴りを食らわされる危険があります。
- 馬にフラッシュを当ててはいけません。
- 馬に手を出したり、大声を出したりしてはいけません。
また、会場にいる関係者の特別な許可がない限り、立ち入り禁止の場所があることも知っておかなければなりません。
甲冑競馬(南相馬市原町区)
騎馬隊が祭場地に到着し、山上の御本陣に神輿を安置した後に行います。それまで被っていた兜を脱いで、白鉢巻をしめた甲冑姿の騎馬武者が、1周1000mの速さを競います。頭数及び回数は毎年異なります。
神旗争奪戦(南相馬市原町区)
打ち上げられた花火の中からゆっくり落ちてくる御神旗を騎馬武者たちが争奪する行事。雲雀ヶ原の祭場地に隣接する本陣山から陣法螺が鳴り響くと、雲雀ヶ原一面に500余騎が広がり、花火1発ごとに2本の御神旗が舞い降りて来ます。御神旗を勝ち取った騎馬武者は高々と御神旗を掲げ、羊腸の坂を本陣山山頂に向けて一気に駆け上がります。旗は敵の首になぞらえているため、御本陣では旗軍者に審査されます。
野馬懸(南相馬市小高区)
小高区の相馬小高神社で、裸馬を騎馬武者が小高区大井字岩迫から小高神社境内に設けられた竹矢来に追い込みます。本来は野馬道(雲雀が原〜小高神社までの道路)を用いたそうです(野馬懸)。追い込み終了後、浄衣を着た御小人なる者が素手で捕え、小高神社に奉納する「上げ野馬の神事」が行われます。この一連の行事が絵馬のルーツとされ、国の重要無形民俗文化財に指定されるきっかけとなりました。
火の祭り(南相馬市小高区)
雲雀ヶ原祭場地から御神輿や騎馬が無事帰ることを願い、住民が沿道に提灯や松明をかざして道案内、慰労の意を表したことが始まりです。花火打上場所周辺の田んぼのあぜ道などに、点々と並べられたかがり火(火の玉)を灯すと、幻想的な風景が浮かびあがり、この後、一面に灯ったかがり火の中から、4,000発の花火を打ち上げています。
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